No ROASSO No LIFE

「県民に元気を」「子ども達に夢を」「熊本に活力を」今回の熊本地震により被災された皆様にお見舞い申し上げます。 このブログはロアッソ熊本のサポーターである私が感じたロアッソ熊本こと、熊本の復興に向けて思うこと、そして私がうまれた益城町のこれからについて思うことを綴っていきたいと思います。

熊本に帰ってきたばい!(1)益城んこと

熊本に帰ってきました。

久々の帰省です。

空港着いてすぐに実家のある益城方面へ。
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なんかすっきりしたとこと、そうでないところがはっきりしてきました。解体がすんでしまったところ、まだあの時のまま残っているところ。

 


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僕の実家は後者。あの時のまま。

新しい感覚でした。なにか自分のとこだけ取り残されていくような感覚。二ヶ月前よりも寂しさと同時に焦りを感じました。このままにしてていいのか?周りにめいわくになってないだろうか?

申し訳ない気持ちになりました。


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カビの臭いと重苦しい空気。

感じたことのない雰囲気に自分の家ではないようです。だけど、家に上がるとうちだとわかる思い出の数々。

 

取り残されてるなぁと感じるこの焦り。家族はどう感じてるのかな。

 


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復興市場にきたら、今日は永龍さん店休日でした(´д`)

 

復興市場を後にして、水前寺公園、熊本城に向かいました。

 

(つづく)

 

 

一歩でも進歩。ただいま俺たちのホーム:#21ロアッソ熊本vsセレッソ大阪

「一歩でも進歩」

これは、益城のとある倒壊しているビルに貼られている横断幕の言葉だ。日曜日のうまスタではその「一歩でも進歩」を存分に感じることのできるとても貴重な時間だった。まずはJリーグや行政をはじめこの試合開催のために色々な障壁を取り除いてくれたすべての方、そしてロアッソ熊本のクラブスタッフのみなさん、ホーム開催できない間にホームゲーム開催を名乗り出ていただいた柏レイソル様、ヴィッセル神戸様、サガン鳥栖様に感謝したい。
 

土砂降りの試合前

 
晴れ予報から一転、試合前に前も見えないほどの雨。しかしスタグル広場には85日ぶりに再会を喜ぶサポーターの姿があった。

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スタジアムグルメも復活。お酒を飲みながらみんなでわいわい試合のことを話す。なにげないこの時間こそ尊いものであると感じた人は少なくないと思う。この時間こそがJリーグの醍醐味なのだ。
 

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たくさんのイベントが熊本の再開を祝う

スタジアムにはたくさんのゲストが。

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Jリーグ特命女子マネージャーのサトミキ
 

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蒲島熊本県知事に大西熊本市長(写真は大西熊本市長)


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ロアッソ熊本応援女子マネージャーの鈴木みのりちゃん


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がまだせロアッソ!発売記念スタジアムライブを行ったタイチジャングルさん

 

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熊本城おもてなし武将隊とありさお姉さん
 
本当にたくさんのゲストがホームゲーム再開を祝った。
パラダイスである。熊本のホームが帰ってきた。本当にそう感じたひとときだった
 
 
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試合は1-5でやぶれてはしまったけれど

試合前のHIKARIは圧巻だった。

普段はゴール裏にいるサポーターがクルバに陣取る。メインスタンドの全員が立ち上がり手を挙げ、HIKARIを歌う。心をこめて。

HIKARIはかつて北嶋秀朗選手(現・アルビレックス新潟コーチ)が在籍していた時にサポーターと選手が戦う気持ちを共に持つための儀式だった。ホームでのみHIKARIをやっていたが、震災後はずっとアウェイでもHIKARIを歌ってきた。この試合でのHIKARIは格別だった。いつもと違う反響ではあったが、全員が選手とスタッフとひとつになれた時間だった。

先制ゴールにスタジアムが沸いた瞬間、9300人のサポーターは総立ちしタオルを回す。とてもすばらしい光景だった。

しかし、ホーム復帰戦勝利はお預けとなった。
今季最多失点の1-5での敗戦。試合後、選手たちは悔しそうな表情を浮かべた。しかしこれが現実である。でもすぐに試合はやってくる。ここから悪い流れになることなく、選手たちには前を向いてほしい。

一歩ずつすすんではいるけれど、変わらない景色

うまかな・よかなスタジアムで試合ができたことは本当に大きな一歩であった。しかし、私たちには忘れては行けない現実がある。

震災からまもなく3ヶ月。まだまだ益城町は片付けすらままならない状態である。僕の実家もそうだ。大切なモノを救い出すことができただけで、建物は4月16日の午前1時から進んではいない。


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進んではいないけれど進めなければいけない。まだまだこんな厳しい光景が続く中で僕の家族は子ども達を幼稚園や保育園に送り届けていた。こういう町並みを見ながら子どもたちはこうつぶやく「あっちも壊れとるね。あぶないね」「こっちも自転車がつぶれてるね。あぶないね」そういう言葉に返す言葉も無いままに彼らを幼稚園におくりとどけ、少しだけ実家に戻った。なにか取り残されたようなそんな寂しい気持ちになった。復興復興というけれど、この波にうちは乗れてないんじゃないか。すごく難しいけれど、取り残された気持ちというのが一番ふさわしいかもしれない。とても複雑な気持ちになった。
 
それでも益城には先週から益城復興市場・屋台村ができた。被災した益城町の居酒屋さんやお茶屋さん、理髪店などがここに集結。少しづつではあるがこうやって新しい試み、新しい生活もスタートしているのも事実である。サポーター仲間で先週訪れた際には森高千里さんも訪れていた。

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 僕の大好きな「永龍」さんのチャンポンとタイピーエン。本当に小さい頃からこの味で育ってきたようなものだ。いつものように出前では頼めなかったけれど、また益城で永龍さんのチャンポンが出前できるといいな。そう思った。

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進んでいないところも進んでいるところも「一歩でも進歩」

進んでいないところもあるし、進んでいるところもある。複雑な気持ちにもなる。だけど、ロアッソだってホームゲームが出来た。とても大きな出来事だなっておもう。あらためて一歩でも進歩というあの家に貼られた横断幕のメッセージが本当に心に響くものとなった。

ロアッソはこれからまた厳しい日程が続く。だけど、一歩でも進歩だ。次は勝点が取れるように応援すればいいんだから。

 

タイチジャングルさんのこと(後編)

タイチジャングル「がまだせロアッソ!」がいよいよ本日全国リリース!

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今日は、タイチジャングルさんのこと後編を。前編はこちらを御覧ください。

gamadaseroasso-tokiyan.hateblo.jp

がまだせロアッソ!CD制作プロジェクト始動

ロアッソ熊本東京応援団のクリスマスパーティーにて、タイチさんから「クラウドファンディング」でCD制作資金を調達し夢を叶えると宣言したところ、なんとクリスマスパーティーの参加者の方から「本田くんのとこクラウドファンディングサービスやりよっけん!」との声。

本田さんは、クラウドファンディングサービスを展開するドリームレイジング社の社長さん。僕の中学の先輩でもある。

タイチさんが本田さんと会ってこのプロジェクトについて話をしてくれた。
「ときやん、決めた!本田さんとこにお願いするけん!」

関東に住む熊本出身者がタッグを組んでCD制作プロジェクトを進めていくことがきまった。

2016シーズン開幕前にロアッソ熊本東京応援団で開催したキックオフカンファレンス。

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タイチジャングル「がまだせロアッソ!」(2/18ロアッソ熊本東京応援団キックオフカンファレンスにて)

kumamoto.dreamraising.jp

 

ドリームレイジング社のプロジェクトもすぐに立ち上がり、いよいよCD制作プロジェクトがスタートした。

 

熊本のみんなの協力とプロジェクトの達成

プロジェクトがスタートしてからはとにかくたくさんの協力者を得ることに必死だった。タイチさんと熊本県人関係のイベントに行ってライブしたり、僕自身は熊本のサポーター仲間にお願いして協力を得たり。多くの人の手で少しずつ夢実現にむけて突き進んでいった。

 

そして、ロアッソ熊本開幕戦。ついにタイチさんがうまスタで「がまだせロアッソ!」を歌う日がきた。


タイチジャングル「がまだせ!ロアッソ!」@うまかな・よかなスタジアム LIVE

 

タイチさんの歌は多くの人たちの心を引きつける。歌をききながら熊本の街並みがおもいだされたり、元気な熊本弁の歌を聴きながらみんなが笑顔になる。子どもだって口ずさむ。月並みな言葉だけど音楽すごいなって思った。

ロアッソ熊本の連勝とともに、CD制作プロジェクトも好スタートをきった。スタートから16日でなんと1stゴールの100万を達成!


ロアッソ熊本応援歌「がまだせロアッソ!」プロジェクト:ビデオレターvol.1

 

そして4月、がまだせロアッソ!のCD発売とがまだせタオルの販売が決定!最終的に215名のプロジェクトの協力者と171万の資金の調達に成功し、がま出せロアッソCD制作プロジェクトは終了しました。

 

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タイチジャングルからの御礼!|がまだせロアッソ!プロジェクト

発売日は5月28日のホーム町田戦にしようとタイチさんと話をしました。じゃあロアッソとも調整ばせにゃんね!御礼の動画もあぐるけん!!そう話していたのは4月12日。熊本地震の2日まえのことだった。

 

熊本地震が起こり、発売は延期・・・。

熊本地震で僕たちの生まれ故郷は激しく傷つきました。誰も経験したことのない2度の震度7の揺れに熊本は大きく傷つきました。当然ロアッソの試合も延期。

熊本のためにでくることはなにがあるのか。タイチさんとそんな話をしたのを覚えてる。

 「俺は音楽で熊本ば元気にするけん」

いろんなイベントでタイチさんはがまだせロアッソ!を歌ってくれた。あるときは日比谷公園のイベントで。あるときは代々木公園のイベントで。

 

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CD発売日の決定と先行発売!

発売日は当初から1ヶ月ほど後ろだおしになったが、いよいよCD発売日が決定した!そしてロアッソ熊本オフィシャルサイトからもリリースのお知らせがあった。

 

 

先行発売に先立ち、プロジェクトの支援者には先にCDが届く。

初めてCDでがまだせロアッソ!を聞いて本当にCDになったんだ・・・感動したのを覚えてる。なんというか、「熊本弁でロアッソん応援歌あるといいっすね!」ってタイチさんと話してから約半年でここまで実現するなんて思ってもみなかったから。

CDジャケットを見た時には本当にうれしかった。

このCDジャケットも実は熊本出身の書道家、松村栄鶴先生のもの。

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松村先生に書いていただいたこの書もまた、今ロアッソ熊本のゴール裏に掲げられている。

そして6月29日、今日、がまだせロアッソ!が全国発売となった。

うまスタ復帰戦ではスタジアムライブも決まった!

 

くまもとのこれから

熊本の復興にはこれから僕は死ぬまで向き合っていかなければいけないと思ってるしその覚悟ができた。タイチさんとの出会いで僕はまた熊本が好きになったし、熊本のために東京でできることをやっていかなきゃいけない。そう思っている。

この思いに共感してくれる人とこれからも熊本のことを思い、熊本のために動いていきたい。

それはロアッソの応援も同じだ。

がまだせロアッソ!は収益の半分がロアッソ熊本の強化費になります。CDを買って支援もありがたいです。ぜひがまだせロアッソ!買ってください。がまだせタオルも買ってください!!よろしくお願いします。

 

タイチジャングルさんのこと(前編)


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いよいよ、タイチジャングルさん(以下、タイチさん)のCD全国発売まで1週間ときりました。

それに先行して今日からロアッソ熊本オフィシャルショップでの発売が開始。

きっかけは熊本県人会の飲み会

タイチさんと知り合ったのは去年の11月。勝ちどきの天串にしおかさん(益城出身の方がオーナーの串揚げ屋さん)で開かれた県人会の定例会でした。

それまでタイチさんの存在は知ってたけどなかなか会う機会もなかったんだけど、そこで聞いたSHiCOTTLEや待っとるけんが久々音楽を聴いてすんなり体に入るというか、どことなく懐かしいかんじになったのを覚えてる。

タイチさんともはなす機会があって、「ロアッソん応援歌ば熊本弁でつくりちゃーっすねー!タイチさんのこの歌盛り上がる!!」とタイチさんに話をした。タイチさんもプロだし、プロに向かってこんなこと言うなんてと今となってはとても失礼なことをしたかもしれないなと思ってる。

だけど、絶対ロアッソサポーターはSHiCOTTLE好きだなっておもった。(笑)

ときやん、ロアッソん応援歌できたばい!

それからしばらくして、タイチさんから連絡がきた。「ときやん、ロアッソん応援歌ばつくったけん聞いてみらん?」でも音源を聞かせてもらった僕は本当に作ってくれたんだ!!という驚きと、その歌詞に衝撃と感動を覚えた

火の国魂が 阿蘇山のごつたぎりよる
むしゃんよか赤か背に 声ばからして叫びよる
下ばむくな あきらむんな わっば信じれ 皆ば信じれ
ひとりじゃなか みんなきつか てきもきつかぞ ぬしがいけ

聞いた瞬間涙がでた。

ロアッソ熊本は後少しのところで念願のプレーオフ進出はかなわなかった。だけど、最後までハラハラのシーズンを経験して来年に本当に期待をもてるシーズンだった。

そんなシーズンが思い出されるほど心のこもったタイチさんの歌声とその歌詞に本当に心が熱くなるというか、久々な感動を覚えた。

「がまだせロアッソ!東京応援団のイベントで歌ってもらえませんか?」

タイチさんは間髪いれずに快諾してくれた。

「熊本のために」という思い

その後、タイチさんとタイチくんお姉さんと3人で飯を食った。そのときに僕がなぜここまでロアッソを応援するのか、そして熊本のためにロアッソで盛り上げて行きたいという思いをはなした。とても暑苦しいくらいにロアッソのことを話した。

タイチさんも熊本への思いを話してくれた。同じ熊本県人として東京から盛り上げていく。熊本のために恩返しがしたい。

そのときにタイチさんから、ロアッソ熊本応援歌プロジェクトの話を聞いた。「俺も歌でロアッソん応援 もでくるし、熊本に恩返しもでくるしね」

白岳何本も空けながら終電なくなるまで語り合った。

タイチさんの歌声に会場が沸いた

東京応援団のイベントでタイチさんのがまだせロアッソ!を初披露した。


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盛り上がった。とにかく盛り上がった。
チャントにもできそうなリズムと今季の戦いが頭に浮かんでくる歌詞。

ロアッソ熊本東京応援団のクリスマスパーティーに参加いただいた池谷社長をはじめとしたクラブスタッフの方々にも初披露となったこの日。

いよいよ「がまだせロアッソ!CD制作プロジェクト」が動き出した。

熊本地震から2ヶ月経って感じる僕自身の心の変化とか周りの変化のこと(2)

もう2ヶ月、まだ2ヶ月。いろんな思いが皆さんにあると思う。僕はその両方をこの期間に感じた。いや、感じない時もあった。「熊本地震から2ヶ月経って感じる僕自身の心の変化とか周りの変化のこと」今回は2回目。熊本に帰ってからのこと。

東京⇒福岡⇒熊本

東京からは本当は4/16に熊本入りするはずだった。だけど、本震で熊本空港が閉鎖。福岡から熊本へ入ることを決断。しかし九州道もJRもまだ福岡ー熊本間が不通。福岡空港から南関ICまで高速を使いそこから下道で目指した。

福岡空港まではロアッソサポーターが迎えに来てくれた。空港ではDMATや自衛隊、その他医療関係の方々等、たくさんの「災害支援」を見た。

植木まで下道で送ってもらった僕は、そこから渋滞覚悟でバスで熊本市内へ入ることにした。バスの中は僕と同様にたくさんのキャリーを積んだ人たちが多くいた。なんだろう、そのバスの雰囲気は今でも忘れられないが、重く、暗い感じだが、みんなが助けあいキャリーを積み直したり、下ろすのを手伝ったり。普段見られない光景がそこにはあった。

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この写真にプラスして他にも荷物があった。中身は子供用のオムツや日用品、下着類、あとは缶詰の食料など。とにかく、熊本入りする前日までにないもの、明日にでも欲しいものを家族から確認し、詰め込めるだけ詰め込んだ。

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3号線を植木方面から熊本城方面に向かうバスに乗っていると、いろんなところに災害拠点のキャンプ地があった。バスの中から見えたのは岡山県のベースキャンプ地だった。

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本当に日本各地からこうやってベースキャンプを張り、災害支援をしていただく。本震後4日目ではあるが、本当に全国から熊本に来ていただいた。感謝しかない。

市役所前でバスを降りた。そこには見るも無残な熊本城の姿があった。石垣は崩れ、天守閣の瓦は落ちていた。バス停で熊本城を見上げていた老夫婦が「こぎゃんなるとな」って言葉を失いハンカチで涙を拭っていた。僕自身も言葉を失った。なんというか上手く言えないけど、熊本城は熊本県人としてのプライドというか誇り。通町筋から見えていたあの姿は今はもうないが、これを見た時ほんとうにショックで自然と涙がこぼれ落ちた。

この日はそのままタクシーで避難先の親戚宅へ向かった。親戚宅では夕飯の準備を進めていた。「ドン!!!」という突き上げるような余震が続く中、少し大きめの揺れがきてもすぐに屋外に出れるように玄関の扉は開け、祖母の車いすを玄関に準備し、避難装備をきちんと整えられていた。

まず最初に感じたのは、家族の安堵の表情だった。僕自身も元気そうな姿が見れて本当に安心したし、足りないと言われている食料をまずは渡し、家族みんなの話しを聞いた。

この日夕方は八代で大きな地震があった。そして余震も全く収まる気配がなかった。夜は車中泊しようと決めていた。車3台に家族が分かれる。足の悪い祖母は少し大きなワンボックスをフラットにしてそこに布団を敷いた。僕は運転席で寝た。まだまだ夜は冷え込んでいた。寒暖差の激しい熊本の春だった。

車内にいても夜中の余震には目が覚める。祖母をお手洗いに連れていくため、降ろして車いすでその時だけは家に戻り、何かあったらすぐに助け出せるように準備をし、本当に眠れない夜だった。1時間おきに目が冷めていた。

何から手をつければいいのかが全く判断できなかった

朝起きて益城に向かった。とにかくガラスや家財道具の釘とかがでてて本当に危ないと話を聞いていたので、作業着と安全靴は調達していた。明るくなってあらためて見た我が家に言葉を失った。

「14日んときはまだ大丈夫だったと。ここのベランダんとこも。でもね、本震で一発でやられてしまったばい」ベランダの窓はサッシごとぶち抜かれている状態だった。表現が見つからないのだが、1回めの地震で寄せられた家具たちが2回めの揺れで一気に窓のサッシごと外にふっとばされるといえばいいのだろうか。窓のない状態になっていた。

家の中に上がると、もう僕が生まれた家ではない状態だった。「あーあ。」そんな言葉しか出なかった。「どっから片付けるや?これ」「なんさん貴重品だけでも・・・」そんな会話をかわしながら片付けを進めていった。

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ここから10日間、毎日毎日家の外に1つずつ家具を運び出し、廃棄できるように分解し、トラックに積んで持っていく。母親には出来る限り危険でないところの作業をお願いしながら1つずつ進めた。

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どうやったらこうなるのかが想像がつかなかった。なにか洗濯機で回したような・・・うちの祖母はこの写真の中央にあるリビングテーブルの下にたまたま滑り落ちたという。

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仏壇も見えなくなり、天井は剥げ落ち、訳がわからない状態になっていた。よく耐えてくれたとおもう。母も祖母も。

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危険は承知で昔使っていた僕の部屋も壁は落ち、梁が外れかけ、今にも崩れるような状態になっていた。

とにかく、この状態から着れる洋服や、貴重品、使える食料なんかを毎日毎日運びだした。水は出ないし、まだ電気も来てなかったからできる作業は暗くなるまで。水は井戸水が使えるご近所さんが、「手洗い用に使っていいから!」とわざわざ言いに来てくださった。こういうところでも近所付き合いの大切さや地域のコミュニティの暖かさを感じた。

終わりの見えない片付けと次第に見えてくる周りの様子

本当に毎日毎日片付けをしてた。でもこれじゃ持たないなと思うこともあったので、思い切って1日休みにしようと家族に提案した。子ども達を公園につれてって遊んだり、母親にも1日何もせずに家にいろと伝えて休息の日を作った。

僕はと言うと、役所周りの手続きや今後どういう方法で家を解体しなければならないかなど、事務手続きがどうなっているかを確認に役場に向かった。

益城町役場の機能は保健福祉センターに置かれていた。保健福祉センターは手続きどころではなかった。たくさんの報道陣、自衛隊、警察、消防、避難してきている人でごったがえしてた。

「もう罹災証明の手続きしよっとですか?」そう確認すると、「まだそれどころじゃないので、もう少し待ってほしい」そう言われた。それもそうだろう。この現状をどうさばいていくかだけで手一杯に見えた。

うまいこと回していく人が必要だなぁ。そうも感じた。なんというかみんな大変な状況の中リーダーシップとって現場をうまく回す役割って重要だなと。1人いれば少しは状況改善するのにななんて思いながら役場を出ると、「ときやん!」声をかけられた。

サポーター仲間だった。

疲れ果てた顔の中にも笑顔を見せてくれた。大変だったろ?と声をかけて少しでも話を聞いて楽になってもらおうそう思って話をきいてた。すると、今度はサポーター仲間の自衛隊員がやってきた。「今風呂ば沸かしよるけん、入れるごつなったら入って行きなっせ」と。少しの時間だったが、3人で立ち話をし、まだいつようなるかわからんばってん、少しずつようなるごつがんばらにゃんねと話をして役場をあとにした。

サポーターもたくさん被災してる。本当にみんなが大変な状況の中で生きるために必死。改めてこの地震が憎いなとそう感じた。

サポーターに会ってようやく、ロアッソそういえば大丈夫なんだっけ?と考えられるようになった。答えはNOだった。当面活動を停止する。そういうニュースが報道されていた。

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片付けもままならない中で、ロアッソのことを考えている余裕がなかったが、少しずつ周りが見えるようになってきた。サポーター仲間からも「うちは大丈夫だけん、手伝えるけんなんでん言ってくれ」そういうありがたい言葉ももらった。

片付けと平行して、いろんな食料の調達、日用品の調達にも追われていた。また、清潔情報や手続きなど割とTwitterにも身近な情報が掲載されていた。NHK防災のアカウントもすごく助かったけど、個人的にはテレビタミンの災害アカウント(今はニュース速報アカウントになっている)がとても重宝した。

現実を目の当たりにして感じた先の見えない復興への一歩

熊本に帰るまではとにかく情報を集めて熊本に送って、そして少しでも家族のケアをしなきゃ!!と半ば興奮状態だったかもしれない。だけど、熊本に帰って自分の生まれた家を目の当たりにした時に感じたこと、目で見て感じたことは、なんといっていいか難しいが、虚無感というか、とてもむずかしい気持ちになった。とにかく、果てしない。1年2年でどうこうという話ではない。ずっとこいつと向き合っていかなければいけないそう感じた。

とにかく先が見えない。これがいつまで続くのか・・・・・。

実家を見上げながらそう感じることが多くあった。

熊本地震から2ヶ月経って感じる僕自身の心の変化とか周りの変化のこと(1)

もう2ヶ月、まだ2ヶ月。いろんな思いが皆さんにあると思う。

僕はその両方をこの期間に感じた。いや、感じない時もあった。

4/14 21:26は会社にいました。携帯に表示された「震度7 熊本県益城町」の地震速報。はじめは冗談だろうって思った。でも何度も表示される地震速報に、次第に手が震えました。

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